キナイ半島横断・キナイの町へ
6月のキナイ川。夜中の1時頃です。
この辺りでは夏至でも太陽は地平線の下に沈みます。
けれど夕暮れがそのまま夜明けへ、残照が曙光につながります。
アラスカ州の最北端バローBarrowまで行けば、夏は84日間太陽が沈まず、冬は67日間太陽が昇らないのだそうです。そんな場所もあるんです。
ところで、キナイ半島の西半分を横断するこのキナイKenai川は、季節には世界の大物狙いが集まる所です。追うのは勿論キングサーモン。
スポーツフィッシングを楽しむには、釣り道具店などで入漁料を払いライセンスを買います。キングサーモンを狙うには、更に別の許可も必要です。
観光資源でもある鮭に関して、場所により多少違いがあるようですが、乱獲を避け資源を保護するために釣りの細かい規則があり、厳密に適用されています。
例えば、短い漁期が厳格に守られ、その期間も一日に釣って良いのは一匹だけ。もし最初に釣れた鮭が小さなもので、もっと大きいのを狙おうとおもったら、最初の鮭は川に戻さなければなりません。小さな物でも取り込んでしまったら、釣竿を畳まなければなりません。ですから大物を期待してそこそこの物を放してしまって、結局釣果なしで一日が終わることもある訳です。
また、どんなに大きな獲物でも、魚と人は一対一で格闘します。決して仲間が手伝ってはいけなし、リールも省力型の物を使ってはいけないのです。(あくまでもスポーツフィッシングの話です。)
私たちが行った時、このキナイ川の底にはセンサーが設置されていて、毎日遡上してくる鮭の数が種類別に自動的に記録される様になっていました。そしてそれらの数が翌日の新聞に出るのです。
最初の時はライセンスを買った釣具店で、B&Bも紹介してもらいました。
キナイ川のほとりの敷地に、経営者ご夫妻の住む大きなログキャビンと、2LDKのキャビンが2~3棟あり、その一軒を借りました。
ちょうど私たちが到着した時、他のお客が釣り上げた鮭を川の水際にしつらえてある炉で焼きながら、皆で食べている最中でした。
私たちが用件を言うより先に、“Salmon TERIYAKI!! 食べてこらん、美味しいよ” でした…
本当に美味しかった! しっかり覚えています。
キッチン付きですから、友人が釣った大きな岩魚をオーブンで焼き、主人が海まで行って釣って来たおひょうはお刺身にして、私たち女性はスーパーで土地の新鮮な野菜を手に入れ… 野趣溢れるディナーが出来ました。
そして、翌日主人の釣り上げたのは…
50ポンドの秤が一回りして、更に17をさしていますから67ポンド=30キロ超
近在で噂になったと、後日ホープのティトさん(二つ前の「ホープへ」に登場)から知らされる程の大物でした。
後処理は色々方法があります。
すぐに食べてしまう、冷凍や缶詰にしてもらって持ち帰る、剥製にして送ってもらうなど。
主人の釣果は冷凍して日本に持ち帰り、サーモンパーティーを開きました。
友人のは剥製になって5ヶ月後に送られてきました。
ところで友人夫婦と主人が釣りに行っていた間、幼い娘と私はB&Bの広い敷地をお散歩したり、川のほとりで野の花を摘んだりと、二人だけの本当にのどかでゆったりした時を過ごすことが出来ました。
スワードへ
ホープでゆっくりした後、南へ南へ、アンカレッジから200kmあまり、スワード Seward を目指します。
人と魚と様々な物資の出入りす る港街です。
アラスカはアメリカによって1867年にロシアから購入され、20世紀半ばになってから州になりました。
当時は馬鹿げた買い物だと非難はされたそうですが、その後石油を初めとする豊富な天然資源が埋蔵されていることが分かります。
購入の立役者・国務長官のWilliam Sewardにちなんで名付けられたのがこの街です。
この港からは観光船が出ていて、ディナーをしながらの、キナイフィヨルドと氷河や海の野生動物の観察に行くことが出来ます。
夏至の頃、夜中の12時に、ようやく暮れなずむ山々を背景に灯りが目立ち始める港に、クルーズを終えて帰り着くのは、何とも不思議な、そして素晴らしい経験でした。
ちょっと分かりずらいですが、群れて生活する野生のラッコです。20頭くらいいたかしら。
この他に、トドと、白頭鷲やパフィンやその他の海鳥をたくさん見ました。
本土からやって来てこの地に住み着いてしまった家具デザイナー、KenのB&B。右が母屋、左は一階がアトリエ、二階がロフト付きの客室です。
後ろの森に小さい坊やのためにken パパが作ったtree houseがあって、私たちもお呼ばれしました。
朝の散歩にもご一緒させて頂きました。
こちらも別の時にスワードで泊まったB&Bです。農家ではありませんが、庭で馬2頭とうさぎと犬を飼っていました。
中は大変居心地の良いリビングルームとベッドルーム。
客室は2つですから、私たち5人でいっぱいでした。
こちらもこの辺りで泊まったB&Bです。
一階が家族のキッチンとリビングルームで、二階の子供部屋をシーズン中だけお客に貸していました。
この家族の4人の子供たちが父にとてもなつくので、父はすっかり好々爺です。
奥さんのSandyが朝から用事で出かけなければならなくなったと言うので、私が4人の子供たちと私たちの朝食を作って食べさせ、まるでこの家の主婦になったようでした。
Sandyの帰宅後には、同じくらいの子供のいるご近所のお宅へ娘も連れて行ってくださり、日本ではまだ珍しかった子供トランポリンをして遊びました。そして夜は、奥さんが讃美歌を一曲だけ日本語で歌えると言うので一緒に歌い、本当に思い出に残る滞在でした。ご主人が出張中でお目にかかれなかったのが残念です。
Sandy と子供たち
娘は子供たちが学校で作った工作やカードや小さな羊のおもちゃやら、「宝物」をたくさん頂きました。
これらは16年前の写真ですから、子供たちもすっかり美男美女の若者になっていることでしょう。