アラスカ夏紀行 写真展
アンカレッジから始まりアンカレッジへ戻るアラスカの旅にお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
2008年に、1990年から1998年頃にした旅について書いたものですから、2018年の今アンカレッジも随分変わっているだろうと思って画像検索してみました。自然はもちろん、町があまり変わっていないので驚きました。懐かしい建物も、通りの風景も、写真で見る限りそのままに見えます。
でも、アラスカを個人で旅したい方がいらっしゃいましたら、データ的なことは改めて調べなおしてからいらしてくださいね。
2018年11月10日 記
一巡りして尚、夫の写したおびただしい数の写真が使われずに残りました。
美しい自然が沢山ありますので、一部をご覧頂きたいと思います。
どうぞもう暫く、アラスカをお楽しみください。
まず、花の写真から…
エアタクシー セスナのチャーター会社のオフィスの軒先。
アイビーゼラニュームでしょうか・・・
どなたかのお宅の玄関先に、見事なライラックの木がありました。
そして、空から…
アラスカ鉄道が見えます。
氷河へ、 ヘリコプターで、船で、徒歩で…
地球温暖化でこれらの風景も変わってしまったのでしょうか…
こんな光景も!
私たちが見ましたのは広い広いアラスカのほんの一部です。
出会った人々も大部分がアメリカ本土から、最近かずっと前かは別として、移住して来た人で、残念なことに、イヌイットなどネイティブアラスカンと親しく触れる機会は殆どありませんでした。
でも、冒険や登山が目的で無いとすれば、総移動距離約1,400kmのこの旅は、日本から行く二・三週間程度の家族旅行での行き先の殆どを無理なく網羅した、ほど良いスケジュールだったと思います。
立ち寄ったり滞在したけれども記事にはしなかった街や村もまだありますが、どこに行っても人々は優しいし、B&Bは楽しい、自然は美しく、ドライブは快適でした。
★下から7枚目、自転車乗りとタンクローリーのすれ違う峠道は、
撮影した夫にとって、アメリカのダイナミズムに心を震わせながらシャッターを押した、
思い出の一枚です。
有り難うございました。
アンカレッジにて
復活させて参ります。古い記事で恐縮ですが、
どうぞ宜しくお願い致します。
☆ Lilac Days 世界は私の学校
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さて、いよいよアラスカ旅行の起点、アンカレッジに戻って来ました。
州都はジュノーですが、アンカレッジはアラスカ唯一の10万都市であり、商業、金融の中心地です。
とても健康的な活気に溢れた街です。
そこここに飾られている色とりどりの花からは、街全体が短い夏を楽しんでいるのが分かります。
アンカレッジのメインストリート・四番街
道を渡ると連邦政府の建物です。
奥に見えるログキャビンは市の観光案内所です。
道の両側には見渡す限り、マリーゴールドとロベリアのボールが並んでいます。
今でこそ花のボールは日本でも当たり前になりましたが、私は20年ほど前にアンカレッジで初めて見て、何て素敵なんだろうと思いました。
上の写真の中ほどに見える、歩道のカフェテラス。夏至の直後の夜7時頃です。
街も元気、
grandpaも元気。
店先も花で溢れています。
アンティークか?ガラクタか?
開拓時代の生活用品を売る店が沢山ありました。
屋根の上の飾りは本物のそりです。
アンカレッジではバルーンでの空中散歩も盛んです。
バルーンは森の上すれすれに飛ぶことが出来るのです。
生えている木のてっぺんの葉には、よほど小さな軽い生き物でもない限り、下から登って行っても触ることは出来ません。でもバルーンは地上すれすれにも飛べますので、バスケットから手を延ばせば、梢に上から触ることが出来るのです。
狭い川を鮭がひしめきながら遡って来る姿も、直下に見ることが出来ます。
バスケットの中にはもとこさんと小さい娘が。
風任せに漂う優雅なバルーン。
この日、夫はどこに着陸するか分からない私たちを追って、地上を車で右往左往したって言ってました。
ソルドビアへ
ホーマーからカチャマック湾を挟んで斜め対岸の漁村、セルドビアSeldoviaまで船が出ているので、海が穏やかな一日私たちも日帰りで行ってきました。
人口300人に満たない小さな村。
その小川のような流れにも、続々と鮭が遡って来ていました。
長旅に耐えて、生まれた川に帰ってきた鮭たちです。
そこここに、既に産卵を終えた鮭の体、つまり子孫を残すと言う使命を終えて天寿を全うした鮭が打ち捨てられています。
これが孵化した稚魚の血となり肉となるのです。
アラスカでは土地の人たちはイクラを食べません。釣りの餌にするだけです。
釣りに使った残りらしきイクラも落ちています。
商業的に捕獲された鮭の卵は、勿論輸出されて私たちの口に入るわけです。
アラスカを車で旅するのに必要不可欠なのが、 “The MILEPOST”と言うガイドブックです。
下の地図はその中の1ページです。 地図中の片仮名は私が書き加えたものですが。
← シベリア大陸へ
北極へ
アンカレッジへ
ホープへ
スワードへ
カナダへ
日本へ
1949年創刊らしい、A4、800ページ位のこの本には、車の旅行者が必要とするありとあらゆる情報が盛り込まれており、 各ハイウエー別に、大変使い易く編集されています。
地図には宿、レストラン、ガソリンスタンド、釣りスポットや主要都市からの距離まで入っています。
広告ぺージにもお世話になりました。
もしアラスカを旅するなら、購入をお勧めします。http://milepost.com/
さて、セルドビアですが、
日本の山里を思わせる、大変穏やかな風景です。
こんなカフェもありました。漁村らしい道具が沢山置かれています。
小さな博物館があり、カフェが数件、何々物産展のような店が数件。
ゆっくりお散歩し、お昼を食べ、波止場のカフェテラスでアイスクリームを食べて帰ってくるのにちょうど良い行き先でした。
ホーマーにて
アンカレッジから370km、海沿いの崖の上を走ること約180km。
ハイウエーの終着点がホーマーHomerです。
ホーマーから見た砂洲 Homer Spit。
道は砂洲の先端まで延びていますが、
それ以上走りたければ、カチェマック湾の水中を行くしかありません。
砂洲の船着場。
向こうの丘の上からこちらを写した写真が一枚目のものです。
アラスカは鉱物資源の宝庫でありますが、漁業も大変重要な産業のひとつです。
魚種も豊富ですが、ここでの水産漁獲量は世界で10位に入り、アメリカの60%を占めている。しかも、養殖が州法で禁じられているので、アラスカで取れる魚介は全て天然物です… と、これはアラスカ政府日本支局のHPからの情報ですhttp://www.alaska.or.jp/index2.html
そのアラスカでホーマーはスワードと並んで漁業の盛んな所ですので、日本の漁業関係の方々とも縁の深い土地でしょう。
砂洲には観光釣り船の案内所や桟橋が並んでいます。
ここはオヒョウ(halibut)釣りの有名な基地なので、世界中から畳大の獲物を得ようと人々がやって来るのです。
夫も朝早く起きて勇んで出て行きましたが、海が荒れて釣りどころではなかったとか。船に乗り合わせたアメリカ人の大男たちが船酔いでデッキの床から起き上がれないほどだったそうです。
また砂洲には、木や、動物の角や骨で作られた工芸品や生活道具、魚に因んだものなどを扱う店や海鮮食堂などもあり、釣りをしない人々にとっても楽しい場所です。
ムースの角や木彫りの鮭の飾られた ギフトショップ
釣れた魚を処理する工場もあります。
ここでの料理方法は日本やヨーロッパと違って、とてもシンプルでした。塩、バター、レモンの味付けで、直火で焼いたりソテーしたりが殆どでした。
お宿は丘の中腹の一軒家を借り…
青い家とは別の一軒家の内部
外から見たら質素に見えても、中はどの家も素晴らしい。
キッチンやバスルームも近代的で快適です。
この家に泊まった時、夕方庭に野生のムースが訪ねて来ました。
この写真は別の所のものです。
もっと近かったのに写真が間に合わなかったのです。
丘の更に上の方ではこんな豪華なB&Bにも泊まりました。
華やかで社交的なマダムと、物静かで控えめなご主人の家です。
朝食はこんな部屋でいただきました。
果物、シリアル、ホームメイドのマフィンやシナモンロール、
野菜のフリッタータ、卵料理にソーセージ…
庭には水着で入る露天のジャグジーまでありました。
遠くに砂洲が見えるのが分かりますか?
翌日に船で行ったSeldoviaは、砂洲の対岸遥か先です。
ホーマーへ
キナイ川沿いのハイウェーをまっすぐ西に、海へ向かいます。
そして海沿いの道を南下します。
真っ青な空の下、右側は断崖絶壁の下に深い藍色を湛えた海、対岸には真っ白に雪を被った山並みがずーと続きます。
左側は巨大なヒマラヤ杉の
森が続いたかと思うと
白樺林に変わり、
また急に草原が開けたり。
いくつか町もありました。
ハイウエーの両側には
二車線分くらいの
緑地帯がありますが、8月には、人間の背丈くらいあるファイヤーウィードが ピンクの花をいっぱいにつけ、延々と咲き乱れていました。
ガソリンはまだ充分大丈夫と思っても、スタンドを見たら入れておかないと酷い目にあいます。日本では3000ccの車なんて乗らないしスピードも違うので、消費の感覚がまるで違います。そろそろ入れようかなと思った時には、何十キロもスタンドが無いなどと言うことがあるのです。
ところでこちらでは、ハイウエーと言っても通行料金を払う訳ではないので入口も出口もありません。
日本の国道などのような、主要幹線道路なだけで、一般道です。
道路沿いに家や建物などないので、塀に囲まれたハイウエーなど想像もつきません。
ですから景色の良いところでいつでも本道を逸れることが出来ます。
途中、開拓時代のようなカフェを見つけてお昼にしたり、良さそうなところにB&Bのサインが出ていると寄って見たりしながらホーマーへ向かいます。
B&Bの建物自体は道路から離れて森の中や、海を見渡す断崖の際に建っていますが、看板を道端に立てているのです。
このカフェのウッドデッキの柵の上に、茶色の液体の入った広口ビンが置いてありました。ウエートレスに、
「あれは何?」と尋ねると
「Sun tea よ」 と言う答えでした。
サンティー?
太陽にいれてもらうお茶!
びんに水と紅茶の葉を入れて半日日向に置いておくのだそうです。後は冷やしてアイスティーとして飲むのです。
私も帰ってまねして見ましたら、同じ茶葉でもお湯で入れるのと違う風味があり、とても美味しくはいりました。
ウエートレス曰く、昨日はびんの中にリスが落っこちてしまったので、今日は蓋したの。
なるほど、ラップで口を塞いでありました。
鮭を釣ったキナイ川のほとりの宿から、今日の目的地、ホーマーHomerまで、約200kmです。
まっすぐ行けば2時間の距離ですが、地図上に記された集落全てに立ち寄りたい誘惑に駆ら
れます。
船宿兼、村の何でも屋
寂れた漁村で
そしてホーマーにたどり着いた時には、既にこんな時間になっていました。
キナイ半島横断・キナイの町へ
6月のキナイ川。夜中の1時頃です。
この辺りでは夏至でも太陽は地平線の下に沈みます。
けれど夕暮れがそのまま夜明けへ、残照が曙光につながります。
アラスカ州の最北端バローBarrowまで行けば、夏は84日間太陽が沈まず、冬は67日間太陽が昇らないのだそうです。そんな場所もあるんです。
ところで、キナイ半島の西半分を横断するこのキナイKenai川は、季節には世界の大物狙いが集まる所です。追うのは勿論キングサーモン。
スポーツフィッシングを楽しむには、釣り道具店などで入漁料を払いライセンスを買います。キングサーモンを狙うには、更に別の許可も必要です。
観光資源でもある鮭に関して、場所により多少違いがあるようですが、乱獲を避け資源を保護するために釣りの細かい規則があり、厳密に適用されています。
例えば、短い漁期が厳格に守られ、その期間も一日に釣って良いのは一匹だけ。もし最初に釣れた鮭が小さなもので、もっと大きいのを狙おうとおもったら、最初の鮭は川に戻さなければなりません。小さな物でも取り込んでしまったら、釣竿を畳まなければなりません。ですから大物を期待してそこそこの物を放してしまって、結局釣果なしで一日が終わることもある訳です。
また、どんなに大きな獲物でも、魚と人は一対一で格闘します。決して仲間が手伝ってはいけなし、リールも省力型の物を使ってはいけないのです。(あくまでもスポーツフィッシングの話です。)
私たちが行った時、このキナイ川の底にはセンサーが設置されていて、毎日遡上してくる鮭の数が種類別に自動的に記録される様になっていました。そしてそれらの数が翌日の新聞に出るのです。
最初の時はライセンスを買った釣具店で、B&Bも紹介してもらいました。
キナイ川のほとりの敷地に、経営者ご夫妻の住む大きなログキャビンと、2LDKのキャビンが2~3棟あり、その一軒を借りました。
ちょうど私たちが到着した時、他のお客が釣り上げた鮭を川の水際にしつらえてある炉で焼きながら、皆で食べている最中でした。
私たちが用件を言うより先に、“Salmon TERIYAKI!! 食べてこらん、美味しいよ” でした…
本当に美味しかった! しっかり覚えています。
キッチン付きですから、友人が釣った大きな岩魚をオーブンで焼き、主人が海まで行って釣って来たおひょうはお刺身にして、私たち女性はスーパーで土地の新鮮な野菜を手に入れ… 野趣溢れるディナーが出来ました。
そして、翌日主人の釣り上げたのは…
50ポンドの秤が一回りして、更に17をさしていますから67ポンド=30キロ超
近在で噂になったと、後日ホープのティトさん(二つ前の「ホープへ」に登場)から知らされる程の大物でした。
後処理は色々方法があります。
すぐに食べてしまう、冷凍や缶詰にしてもらって持ち帰る、剥製にして送ってもらうなど。
主人の釣果は冷凍して日本に持ち帰り、サーモンパーティーを開きました。
友人のは剥製になって5ヶ月後に送られてきました。
ところで友人夫婦と主人が釣りに行っていた間、幼い娘と私はB&Bの広い敷地をお散歩したり、川のほとりで野の花を摘んだりと、二人だけの本当にのどかでゆったりした時を過ごすことが出来ました。
スワードへ
ホープでゆっくりした後、南へ南へ、アンカレッジから200kmあまり、スワード Seward を目指します。
人と魚と様々な物資の出入りす る港街です。
アラスカはアメリカによって1867年にロシアから購入され、20世紀半ばになってから州になりました。
当時は馬鹿げた買い物だと非難はされたそうですが、その後石油を初めとする豊富な天然資源が埋蔵されていることが分かります。
購入の立役者・国務長官のWilliam Sewardにちなんで名付けられたのがこの街です。
この港からは観光船が出ていて、ディナーをしながらの、キナイフィヨルドと氷河や海の野生動物の観察に行くことが出来ます。
夏至の頃、夜中の12時に、ようやく暮れなずむ山々を背景に灯りが目立ち始める港に、クルーズを終えて帰り着くのは、何とも不思議な、そして素晴らしい経験でした。
ちょっと分かりずらいですが、群れて生活する野生のラッコです。20頭くらいいたかしら。
この他に、トドと、白頭鷲やパフィンやその他の海鳥をたくさん見ました。
本土からやって来てこの地に住み着いてしまった家具デザイナー、KenのB&B。右が母屋、左は一階がアトリエ、二階がロフト付きの客室です。
後ろの森に小さい坊やのためにken パパが作ったtree houseがあって、私たちもお呼ばれしました。
朝の散歩にもご一緒させて頂きました。
こちらも別の時にスワードで泊まったB&Bです。農家ではありませんが、庭で馬2頭とうさぎと犬を飼っていました。
中は大変居心地の良いリビングルームとベッドルーム。
客室は2つですから、私たち5人でいっぱいでした。
こちらもこの辺りで泊まったB&Bです。
一階が家族のキッチンとリビングルームで、二階の子供部屋をシーズン中だけお客に貸していました。
この家族の4人の子供たちが父にとてもなつくので、父はすっかり好々爺です。
奥さんのSandyが朝から用事で出かけなければならなくなったと言うので、私が4人の子供たちと私たちの朝食を作って食べさせ、まるでこの家の主婦になったようでした。
Sandyの帰宅後には、同じくらいの子供のいるご近所のお宅へ娘も連れて行ってくださり、日本ではまだ珍しかった子供トランポリンをして遊びました。そして夜は、奥さんが讃美歌を一曲だけ日本語で歌えると言うので一緒に歌い、本当に思い出に残る滞在でした。ご主人が出張中でお目にかかれなかったのが残念です。
Sandy と子供たち
娘は子供たちが学校で作った工作やカードや小さな羊のおもちゃやら、「宝物」をたくさん頂きました。
これらは16年前の写真ですから、子供たちもすっかり美男美女の若者になっていることでしょう。
ホープへ
アンカレッジの街のお話は後回しにして、 キナイ半島のドライブへ出発します。
最初の時は、漠然とスィワードSewardとホーマーHomer辺りに行こうと出発しましたが、途中のジャンクションで道を間違えて、ホープHopeにたどり着きました。
偶然たどり着いたこの村に、私はその後毎回ち寄ることになるのです。
ターナガン入り江を挟んでアンカレッジの対岸、陸路140km。人口130人ほどの小さな村ですが、19世紀末にはゴールドラッシュで大いに賑わった土地です。
ロッジ、食堂、ギフトショップが2~3軒、町会会館(?)、学校、郵便局。それに海岸には崩れかけた廃屋が数軒。殆ど人影もない寂れた村です。
私たちは、ゴールドラッシュ時代のような食堂、Discovery Cafeに入りました。
経営者のティトさんは、ハワイから移住して来た日系三世のおじさんです。
彼は初対面の私たちを、まるで、何十年振りかで帰ってきた弟と妹を迎えるかの様に迎えて下さいました。
ランチの代金をとってくださらないし、カフェで売っているお土産をあれもこれもと持たせて下さるし、日本に持ち帰れる様にと、アンカレッジのお知り合いに冷凍キングサーモンを手配してくださるし、そして村中を案内して下さりながら話しが尽きません。コールドラッシュ時代のこと、今も砂金が取れること、村のこと、その辺りの樹木のこと、そして戦中戦後の大変なご苦労のこと…
この小さな村でティトさんは村人たちから最も頼られ、敬愛される人物であり、彼のカフェは皆の生活の中心であることが、店の従業員や常連客の様子から窺えました。
ティトと従業員、常連客と共に古い食堂で。
サンドイッチに巨大なオニオンリンリング。
彼に会いに三回目に立ち寄った時、西部劇の様な味のある古い食堂はなくなり、こざっぱりした新しい建物に変わっていたのです。その訳は、
ある晩彼の店が火事になり、全焼してしまったのです。
放心状態の彼を横目に、村人たちは、お金を集めて立派なカフェを新築し、そっくり彼にプレゼントしたのです。
それが今の建物です。
新築のDiscovery Cafe
日本に一度も行ったことがなく、日本語も幾つかの単語しか知らない彼が、日本人の血を引くが故に歴史に翻弄され、そしてたどり着いたこの遥か北の小さな村。土地の人々から慕われ、安住の地を得たのでしょうね、きっと。
町会会館
ギフトショップ
海岸の廃屋
ティトさんは、今もお元気でいらっしゃるかしら。
タルキトナへ
7時間の汽車の旅なんてうんざりと言う方は、デナリへの登山口の村、
タルキトナTalkitna へいらしてはいかがでしょう。ここまでなら3~4時間です。
駅周辺にだけ、花で飾られたログキャビンが立ち並ぶ、綺麗な小さな村です。
しかしここが北米最高峰デナリ山(マッキンリー山)への登山口ですから、世界中の有名無名の登山家がやって来るのです。
あの上村直己さんもここから出発して単独登頂に成功し
ました。残念な事に、その帰途に消息をたたれましたが。
そうそう、その時日本を出発なさった便に私は乗務して
おり、たまたま上村さんがお座りの辺りの担当でした。
物静かな中に、大変温かいお人柄を感じました。
タルキトナから、登山家でなくても、ヘリコプターやセスナでデナリ山のそばまで行けます。そして、お天気が良ければ氷河の上に降り立つこともできます。お天気が悪く降り立つことができなかった時には、半分ぐらいの料金を返してくれます。
氷河の形や大きさは千差万別ですが、これもその一つです
このセスナはエアータクシーなどと呼ばれていて、運行している会社が各都市周辺にたくさんあり、観光フライトばかりでなく、交通手段としてチャーターできます。
パイロットごと飛行機を一機をチャーターするなんて、豪勢でしょう?
ところが移動に使う場合、5・6人で割れば同じ距離を鉄道で行くの大して変わらない金額だったように思います。
アラスカは広大な土地に家がまばらにしかないので、大都市の外ではハイウエー以外に道路網が発達していません。道がないし海や川は凍るのですから、これらの家には空からでなければ行くことができないのです。
お陰で私たち旅行者もこの足を、大いに利用させていただけるのです。
と言うわけで、アンカレッジへの帰りは、いつもセスナでした。
7時間の汽車の旅も魅力的ですが、この1時間半のフライトは素晴らしい! 実際、私は、セスナより楽しい乗り物に未だ嘗て乗った事がないと断言します。
小さいヘリコプターはプロペラがパタパタとうるさいし、小刻みな振動が煩わしい。それに比べてセスナは振動は少ないし、音はしますが煩わしい種類の音ではありません。
ジェット機より遥かに低く飛びますから地上がよく見えますし、窓を開けたまま素肌で空を感じながら飛べるのです。
前回の時のパイロットと偶然飛行場で出会ったのですが、
あちらも私たちを覚えていて下さいました。
パイロットの隣の席でご満悦の父
デナリからアンカレッジまで飛ぶと、樹木の様態が変わるので
どこまでがツンドラかはっきりと分かります。
地上にムースなどがいれば、肉眼でも見える高度です。
この様に南下してアンカレッジへ戻り1~2泊します。
次回はもっと南、キナイ半島へのドライブにお誘い致しましょう。
デナリ国立公園では
デナリでは広大な公園の自然動植物や地形を、丸一日かけて観察するバスツアーに参加しました。
大自然の中にいるキツネ、トナカイかムースのような動物、何種類かのクマ、ライチョウを見ました。
七色の地層が遥か彼方まで重なる、巨大な屏風の様なクレーター。刻々と光が変化して行くデナリの山。どれも生涯初めて目にする光景でした。
地形学、地質学、生物学の用語のちりばめられた英語の説明は、あまりよく分からなかったのですが、天地創造の太初はかくや、と思わされる光景をしっかりと胸に焼き付けて来ました。
ところで、公園の中は車ばかりでなく、徒歩や自転車でも入ることが許されていません。一台のバスがひたすら静かに静かに進み、止まる時には必ずエンジンを切ります。
要するに、自然界にない音も光も物体も、徹底して制限されているのです。
ですから、レストランもお店も勿論なく、ヒトの食料はボックスランチと温かいコーヒーが、私たちのバスでたっぷりと運ばれます。
この広大な公園の外には更に広大な自然が広がっています。こちらでは自由にアウトドアの活動を楽しむことが出来ます。但し、キャンプサイトにはしっかりと留め金の付いた頑丈な金庫のような箱があり、野外で食べたものの残りかすは必ずこの中に捨てなければならないのです。放置すれば意図せずとも野生動物を餌付けすることになり、自然の生態系を崩します。人間にとって危険なことにもなるからです。
私たちは一度も登山はしませんでしたが、ヘリコプターで氷河の上に降り立ちました。
ラフトでの渓流くだりでは、大人ばかりキャーキャー喜ぶ(怖がる?)ので、4歳の娘(中央)はうんざり顔です。この時は本気で救命胴衣の必要な、かなり激しいラフティングでした。
大きくなった娘はこの通り(左から二人目)ニコニコ顔です。
河川野生動植物探検隊みたいでしょう。
この後私たちは、数日前に7時間かけて汽車で来た道を、今度はセスナ機をチャーターして1時間半でアンカレッジに帰りました。
ここまでが三回のアラスカの旅の中で最もアウトドアーっぽい部分です。
・・・綺麗に撮れている写真は、全て夫の作品です・・・